2014年2月、新日鐵住金は、日本の自動車メーカーの現地工場が集まる米国南部において新たな布石を打った。米国アルセロールミッタル社と共同で最新鋭の薄板の生産ラインを買収し、自動車鋼板の生産拠点を築いたのである。
自動車のボディに使用される鋼板には溶融亜鉛めっき鋼板があり、GIとGAに分けられる。日系メーカーは、品質や加工性に優れるGAを主に使用するが、これまで米国には高品質なGAを安定的に生産できる拠点は少なく、それが現地生産の大きな足かせになっていた。
新日鐵住金が買収したアラバマ州カルバートの工場はその問題をブレイクスルーするものであり、日系メーカーからの期待は大きい。熱延から冷延、めっきまで一連のラインを有するこの工場は、新日鐵住金が進めるグローバル戦略においてかつてない大規模拠点であり大きな一歩であった。

「このメンバーと一緒に仕事をしていくのか……」
同年3月上旬、東京・丸の内にある新日鐵住金本社の会議室に17人の技術者が集まった。そのひとり、小島勝也は勢揃いした仲間たちの顔ぶれを見て、武者震いにも似た高ぶりを感じた。
カルバートでは、約100億円を投資して、スラブヤードからGAラインの増強に加え、これまで国内でしか実現されなかった最新鋭の鋼材、超ハイテンの生産も計画されている。それに先駆けて現地に向かう技術者たちのキックオフミーティングが催されたのだ。
小島は、製鉄所で経験を積んできためっき操業技術のエキスパートだ。全国の製鉄所から選りすぐられた技術者は中堅クラスが多く、その中ではダントツに若い。
鉄が秘める可能性に惹かれ、その鉄を通じて世界で活躍してみたい――、そんな想いを抱いたことが、新日鐵住金に入社した理由のひとつだった。だから、カルバートの操業技術メンバーに自分が加わることを上司から告げられたとき、驚きとともに胸が高鳴った。
製鉄所の熱延ラインでキャリアを積んできた辛島広祐も、そこに集うメンバーのひとりだった。小島より6つ年上の彼は、もう少し冷静な視線でこのミッションを俯瞰していた。
カルバートの生産ラインは、2010年に建設された世界でも最新鋭の設備で構成され、そこにどんな技術が待ちかまえているのか、技術者として純粋に興味を感じていた。けれども、異国の工場で現地のスタッフと一緒に既に稼動中の生産ラインを動かしながら変えていくのは並大抵なことではないはずだ……。

辛島や小島たち新日鐵住金の技術者が現地に着任したのは同年4月のこと。生産設備の増強に向けた下地づくりとして、日常操業の課題を発掘し改善を進めるのが最初のミッションとなった。
「ほぅ、想像以上に整ったラインだな……」
これが、辛島がカルバートに初めて足を踏み入れたときの印象だった。広大な敷地に建てられた施設に整然と生産ラインがレイアウトされ、現場も整頓が行き届いている。どの設備も新しく、自動操業を支援するITシステムなどは日本よりも進んでいるほどだ。
ところが、操業状況を把握するためにデータを分析すると、次々と課題が浮き彫りになってきた。生産ラインの作業率が低く、製品の品質も安定していない。現場でのオペレーションや技術に改善の余地があるのは明らかだ。
また、辛島たちが籍を置く技術部門と現場の操業を担う製造部門との連携も円滑ではないような感触だった。辛島や小島たち技術者は頻繁にミーティングを開き、アイデアを持ち寄りながら操業改善に取り組んでいった。

アラバマの夏は暑い。小島は、連日気温40℃を越える猛暑から逃れるように事務所に入ると、すぐにパソコンを立ち上げて昨日の操業データを調べた。「……どうなっているんだ、これは?」
2014年4月の着任から4ヵ月が過ぎ、カルバートにおける操業改善に向けた取り組みが本格化していた。
小島が担当するめっきラインは、自動車鋼板の生産において、製品の品質の鍵を握る最終工程。小島は、そのラインの中心となるめっき浴プロセスの改善を進めていた。鋼板にめっきを施すこのプロセスでは、浴槽の温度を極力一定に保つのが重要である。ところが、カルバートではそのばらつきが数倍も大きいことが判明した。
そこで小島は、製造部門のマネージャーと交渉し、次回の生産機会から温度管理を厳密に行うことで了承を得たのだが……。操業後にデータをチェックすると、以前と変わらないのである。
「これはどういうことなのでしょうか?」
「オーケー、調べてみよう」
データを片手に思わず気色ばむ小島に、製造マネージャーの返事は素っ気なかった。後に判明した理由は、初歩的な連携ミス。マネージャーが作成した指示書の確認を現場のオペレーターが怠ったのが原因だった。

生産ラインは、24時間止まることなく操業をしている。それは日本でも米国でも同じこと。アラバマの夏の深夜、辛島は人影も少ない熱延ラインのコントロールルームで、かつて製鉄所で幾度か経験した夜間操業試験の「立会」を思い出していた。
カルバートの生産ラインは[熱延]→[冷延]→[めっき]に分かれる。辛島が担当する熱延ラインは最上流に位置する工程だ。熱延ラインの安定なしに一貫安定製造などありえない。
辛島は、操業データを分析した後、頻繁に生産ラインに出向き、現場現物で改善の進め方を模索していた。そうしてたどり着いた結論はいたってシンプルで、自分自身が製鐵所で学んできたやり方を踏襲すべきというものだった。データをもとに課題を把握し、改善策を練り、それを現場で実践し、結果を検討して次の改善へ。いわゆる、PDCA(Plan-Do-Check-Act)だ。「日本流」というよりも、基本に立ち戻ろうというスタイルだろう。
ただひとつだけ懸念することがあった。「操業技術者」という辛島たちの役割を、どうも現地スタッフたちは理解できていないようなのである。これまでカルバートにはそのようなポジションは存在せず、ライン全体を視野に入れてトータルかつ継続的に改善に取り組む操業技術者の重要性を認識できていなかったのだ。
そこで辛島は、現場に立って操業技術者としての姿を実際に見せることにした。この深夜の試験立会もそのひとつだった。背中で語る――。こればかりは日本ならではの流儀なのかもしれないが、製鐵所で多くの上司や先輩たちの後ろ姿を見て学んできたスタイルを、辛島は遠く離れた米国アラバマで実践したのである。

基本と実践。試行錯誤の末に、小島がたどり着いたスタイルもやはり同様のものであった。改善の必要性を説くときには実際のデータを交え、その根拠を明確化する。また、上司にあたる日本人の技術部長のアドバイスも聞いて、操業ごとに改善の目標を細かく設定し、成果をみんなで分かち合って達成の度合いを実感できるように工夫した。
「オペレーターが温度管理に気を配らないのはそもそも重要性を認識していないからだと思う。それをコジマが教えてみてはどうか?」
めっき浴槽の温度管理についても、製造マネージャーからの提案を受けて実践してみたところ、見事に成果に結びついた。小島は、操業の合間の時間を利用し、オペレーターたちを集めてめっき操業技術に関する基本的な研修会を何度も催したのである。こんな地に足を付けた取り組みが実を結び、工場の空気に変化が表れた。

むせかえるような猛暑が去って、アラバマの町が秋色に染まる頃、改善は着実に進み始めた。それと歩調をあわせるように、カルバートにこれまでにない一体感が生まれてきた。
辛島は、最近、現地スタッフとの会話に耳慣れない言葉が交じるようになったことに気がついた。それは、「Team」という単語だった。「一緒のチームとしてチャレンジしよう……」。製造部門のスタッフからしばしばそんな声をかけられ、技術的な相談を持ちかけられる機会も増えた。
さまざまな人たちとひとつのチームになって、大きなスケールの仕事に挑んでみたい――。思い返せば、これが辛島が新日鐵住金という会社を選んだ理由だった。以来、製鉄所で幾度も経験してきた心地よい一体感に、このカルバートで再び出会えたことが辛島は何よりも嬉しかった。
2015年の年初から、いよいよ設備増強工事が本格的にスタートした。2016年中には最新鋭の自動車鋼板、超ハイテンの生産が立ち上がる計画だ。やがて辛島や小島たちの技術に支えられた鋼板をボディにまとった日本車が米国の道を走り始める。生産増強は雇用の拡大などを通じて地域の発展にも結びつくだろう。そして、カルバートで日米のスタッフがひとつのチームとなって成し遂げていく軌跡は、かけがえのない蓄積となって新日鐵住金の今後のグローバル展開にも生かされていくはずだ。

辛島 広祐

趣味は草野球。けれども、現地では手軽に参加できる野球チームがなく、週末はもっぱらゴルフ。ホームパーティーに呼ばれたり、オフタイムでもチームワークを楽しんでいる。

小島 勝也

アラバマでは現地の人々から学ぶことも多い。そのひとつがワーク・ライフ・バランス。米国流に休暇をとり、家族と一緒に旅行に出かけ仕事との両立を図っている。