釜石で日本初の洋式溶鉱炉の出銑に成功

良質な銑鉄を手に入れる

日本では9世紀頃から出雲地方を中心に、砂鉄と木炭を原料とした日本独自の「たたら製鉄法」と呼ばれる小規模な製法で鉄づくりが行われていました。明治時代初期までは、この「たたら製鉄法」による製鉄が行われ、世界的に有名な日本刀やさまざまな農耕具の鉄がつくりだされたのです。その後、日本の近代化とともに、砂鉄と木炭を原料とした「たたら製鉄法」では社会的に満たされなくなり、炭素を用いて鉄鉱石から良質な銑鉄を取り出す「洋式溶鉱炉」の導入が検討されるようになりました。そして1857年12月1日。幾多の試練を乗り越え、現在の岩手県釜石市で日本初の洋式溶鉱炉による出銑に成功しました。

日本で初めてコークスによる製銑製造に成功

近代製鉄業の灯をともす

釜石での洋式溶鉱炉成功により、明治政府は1874年、官営釜石製鉄所を建設しました。数年後、操業を開始するも軌道にのらず、それを引き継いだ民営の釜石鉱山田中製鐵所が木炭高炉技術を踏襲しながら発展していきました。そして、1894年、日本で初めてコークスによる製銑製造に成功。ここに、近代製鉄業の灯がともり、後の本格的近代製鉄所の操業に続く、大きな足跡を残しました。

官営八幡製鉄所。日本の産業を前進させた、歴史的な火入れ

日本初の銑鋼一貫製鉄所

明治政府は「殖産興業」をスローガンの1つに掲げ、国の威信を賭けて製鉄所設立を目指しました。 そして1896年に、議会の承認を得て「製鉄所官制」を発布。製鉄所の設置場所としては、背後に炭田を控えていることや、防備に優れるなどの理由により、現在の北九州市八幡東区東田が選定されました。1898年から本格的な建設に入り、来たる1901年2月5日、東田第一高炉に歴史的な火入れが行われ、鉄鉱石から鋼材の生産までの工程を連続して行う、日本初の銑鋼一貫製鉄所が誕生しました。ドイツ式大規模生産方式を採用した官営八幡製鉄所でしたが、操業開始後は技術的困難にも数多く直面することになりました。不良や失敗が起こるたびに、溶鉱炉の構造、装入物の調合、溶結など、原因を徹底的に探求しながら、原料処理・原料配合技術やコークス炉の改良に取り組み、次々と生産技術の改善を図っていったのです。そうした人々の汗と努力が実を結び、鋼材生産高は著しく急増し、日本の産業を牽引する原動力となりました。